反町の主題にある「(江戸)中期以降では松平定信・水野忠央・屋代弘賢・狩谷?斎・塙保己一・新見正路・浅野梅堂等々。更に大田南畝・馬琴・種彦・豊芥子に至るまで、その数は相当に多くあります」の言葉のとおり、ここから市井の人たちの蒐集が本格的になります。
多くの蔵書を持つには当人の条件以外に、まず得るべき本が市場になければ話になりません。この面での西洋中世の極度の貧しさは後で詳説しますが、昭和元禄の時代になって井上ひさしや谷沢永一が幕府蔵書をはるかに上回る冊数を保有していたのは何より時代のもつ情報の豊富さの証とも言えました。中期以降の江戸時代がそうした条件を備えてきたということなのでしょう。
では前章を引き継ぐような大名系の蔵書家二人から。
■ まず松平定信の場合、彼の蔵書目録は現在市販されているので参考になる。「松平定信蔵書目録全2巻[監修]朝倉治彦[解説]高倉一紀 揃定価43,200円(揃本体40,000円)」
■ 次に水野忠央。紀州藩家老で新宮城の当主だが、その蔵書は四万点ともいわれ、これをもとに編纂した「丹鶴叢書」は全152巻に及ぶ。
次に屋代輪池以下は、主として学者・文化人などが続きます。
■ 屋代弘賢 宝暦8年(1758年) - 天保12年閏1月18日(1841年3月10日)
国学者で、幕府の右筆も務めた。塙保己一門下であり、『群書類従』の編纂にも携わっている。上野不忍池のほとりの「不忍文庫」は蔵書5万冊を誇り、名実ともにこの時代の代表的な蔵書家。反町も江戸時代を代表する三人として松雲公・浅野梅堂と並称している。小山田与清・大田南畝・谷文晁など、他の大物蔵書家とも交友があり、そのネットワークの中心にいた。
反町は信頼に値する目録はないとしているが、現在ではこちらも蔵書目録が市販されている。(朝倉治彦編『屋代弘賢・不忍文庫蔵書目録』全6巻 ゆまに書房、2001年)
詳しくは「江戸の蔵書家たち」 (講談社選書メチエ) 1996/3岡村 敬二を。
■ 狩谷?斎 安永4年12月1日(1775年12月23日) - 天保6年閏7月4日(1835年8月27日)
江戸後期の考証学者。父は書籍商でのち狩谷保古の養子に。津軽藩御用達という富裕な町人身分だったが、上記の屋代弘賢に師事して和漢の学を授けられる。蔵書は2万ほど。
晩年の鴎外が『澁江抽齋』『伊澤蘭軒』『北条霞亭』の史伝三部作に続いてこの狩谷?斎を取り上げる予定だったことはよく知られているが、晩年のエッセイでぼやいてたように掲載紙サイドの不評により、このシリーズは打ち切りになったようだ。
■ 塙保己一 延享3年5月5日(1746年6月23日) - 文政4年9月12日(1821年10月7日)
ご存知盲目の国学者だが、どうやって本を読んでいたのかわからない。所有数は、山崎美成によると2万余巻だが、一方足代広訓によると6万巻となっている。
とにかく、塙保己一→屋代弘賢→狩谷?斎という国学の師弟関係はそのまま巨大な蔵書を有する情報の宝庫だったわけである。
■ 新見正路 寛政3.9.12(1791.10.9) - 嘉永1.6.27(1848.7.27)
江戸後期の幕臣で、徳川家慶の側近である御側御用取次も務めた。邸内に賜蘆文庫を設ける。 関西人にはあの天保山を築いた事でもよく知られている。
■ 浅野長祚 文化13年6月9日(1816年7月3日) - 明治13年(1880年)2月17日
浅野梅堂の名の方が通りがいい。幕末から明治にかけての幕臣(旗本)だが、芸術に造詣が深く自身も多くの作品を残す一方で中国書画の鑑定家では当時第一人者と称された。
蔵書家としては5万巻を有し、大名蔵書を別にすれば、江戸期では小山田与清や屋代弘賢と共に最大クラスだろう。時期的にはもう幕末なので、19世紀初頭の屋代や太田たちによる交流の次の時代の蔵書家といえる。
■ 大田南畝 寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日)
幕府御家人の傍ら、狂歌師として名を馳せ唐衣橘洲・朱楽菅江と共に狂歌三大家と言われた。所有は2万ほど。
江戸の蔵書家ネットワークの中心にいた彼が、大坂銅座に赴任した折りに木村蒹葭堂や上田秋成との関西ネットワークと交流したことはこの時代のトピックと言える。
■ 滝沢馬琴
これもみなさんご存知。南総里見八犬伝などで有名な当時のベストセラー作家。
■ 柳亭種彦 天明3年5月12日(1783年6月11日)- 天保13年7月19日(1842年8月24日))
江戸時代後期の戯作者で彼も馬琴同様当時のベストセラー作家。
■ 石塚豊芥子
江戸末期の考証学者、というより市井の考証家で、珍本のコレクターとして知られる。上記種彦とも交友があり。
反町茂雄は江戸後期からは以上の11人を挙げています。たしかに大名は少なくなりましたが、市井の人とはいっても、まだ幕臣で学者を兼ねているような人が多いです。
ひとつ不思議なのは、なぜか江戸第一とも称された小山田与清の名前がないことです。これは専門的な古書籍商さんの事ゆえ日々の取引の中で蔵書印等から彼らのコレクションの「質」を見極めた上での判断なのか、それとも単にこのとき小山田の存在を忘れていただけなのか、そこのとこはよくわかりません。
で、小山田をはじめとして、なぜか触れられなかったこの時代の主要な蔵書家10人をここから示しておきましょう。特に反町は上方の蔵書家にはほとんど触れてないので、東西の交流が盛んだったこの時期ではこの部分は重要なんです。
□ 小山田 与清 天明3年3月17日(1783年4月18日)- 弘化4年3月25日(1847年5月9日)
江戸後期の国学者。古屋昔陽・村田春海の門下。擁書楼という書庫をつくり、同学諸氏の閲覧に供した。蔵書はおよそ5万ほど。これらは没後に水戸彰考館へゆく。
江戸第一といわれ、屋代弘賢と双璧とされていた小山田だが、彼も国学者であり、この時代の蔵書家たちのほとんどが国学系で朱子学者が少ないのに気づく。
□ 岸本由豆流 寛政元年(1789年) - 弘化3年閏5月17日(1846年7月10日)
江戸後期の国学者。村田春海門下。典籍の収集家で蔵書は3万。晩年浅草聖天町に住み、狩谷?斎、市野迷庵、村田了阿、北静盧らと交友。
□ 谷文晁
画壇アカデミズムの頂点にいた彼が、市井の絵師を代表する北斎と共に将軍家斉の御前で絵を描いたエピソードは有名。北斎とは違い大教養人で、和歌や漢詩をよくした。その交友の広さもwikiにあるようにかなりのもの。
小山田与清・屋代弘賢・大田南畝・岸本由豆流・谷文晁らの間には互いに交流があり、そのネットワークの中核にいた大田南畝が、上方の蔵書家たちの中心的存在だった木村蒹葭堂を訪問したくだりは、この時代のトピックといえます。
南畝は享和元年(1801)大坂銅座勤務の折に蒹葭堂宅を訪問し、翌正月には、蒹葭堂が南畝を訪問し長時間歓談。二人の周辺では名だたる蔵書家が集い読書会を催したり趣味を介した交流が行われます。ただ蒹葭堂はその月の25日に亡くなっているので交遊もこれで終わりになりました。
この時期は他にも、屋代弘賢は京都・奈良の古社寺で古宝物の調査をしているし、狩谷?斎も京都の書肆・竹苞楼銭屋惣四郎を数度にわたり訪問してその助力の下に貴重な古典籍を蒐集しています。谷文晁のように東西の両サークルに属していた蔵書家もおり、江戸と上方の交流が盛んだった様子がよくわかります。
□ 木村孔恭
一般に木村蒹葭堂としての方が通りがよい。文人、文人画家、本草学者と呼称は様々だが、物産学に通じ、禅にも精通、蘭語・ラテン語を解し、煎茶、篆刻をも嗜む。
裕福な商家の財力を背景に2万を越える蔵書の他、書画・骨董・器物・地図・鉱物・動植物標本に及ぶ一大コレクタションを形成した。その意味では英国のハンス・スローンにも比せられる存在といえよう。邸宅跡が現在大阪市立中央図書館になっている事実もスローンを思わせる。
知識やコレクションを求めて諸国から来た多くの人を貴賤を問わず受け入れ、邸宅は当時の文化サロンとなった。「浪速の知の巨人」とも称せられる。幕命により蔵書は彼の死後昌平坂学問所へ。
□ 上田秋成
雨月物語で有名な彼も蒹葭堂周辺のサークルの一員。
□ 頼春水
儒者・詩人。頼山陽の父ということでもよく知られているが、その詩才は当時から評価が高かった。大阪時代に蒹葭堂と交流。
□ 松浦静山
平戸藩主。随筆集『甲子夜話』は現在でも読まれている名著である。3万3000の蔵書をもつ彼の場合、大名蔵書として本来前頁に記すべきかもしれないが、蒹葭堂サークルの一員としてこちらに置いた。
この時代で他に重要な存在として、江戸では伊能忠敬、渋江抽斎を、上方では大塩平八郎を挙げておきます。
□ 伊能忠敬
江戸後期の商人で、一般には測量家というイメージだろう
□ 渋江抽斎
今では鴎外の史伝で有名。考証学者で医家。蔵書は1万。
□ 大塩平八郎
大塩の乱で知られる彼も5万に及ぶ蔵書を有していたと伝えられる。これは叛乱の資金源になったようで、売却して600両になったとか。
《トピック 江戸で一番多く本を持っていたのはだれか》
このサイトでは手堅く、小山田与清・屋代弘賢・浅野梅堂あたりを5万クラスで最高レベルとしていますが、こういうのは異説が多くて、今となっては正確に確かめることは不可能です。
屋代弘賢は、小宮山欄軒によるとじつは9万3千あったとされているし、塙保己一は、山崎美成によれば2万余巻ということだが下記の史料では6万巻になっています。
足代広訓の言うところによると、江戸で一番本があるのは、①湯島の聖堂(林家の家塾、現在の東大の前身)で、以下、②守村次郎兵衛(俳人)の10万、③蜂須賀治昭の6~7万、④塙保己一の6万、⑤朽木兵庫の3万余、⑥古賀?庵の1万、だそうです。
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