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2018年12月5日水曜日

[5] 鏡像フーガ1

 碩学の書いたものに補正を加えるなんて恐れ多いんですが、主題に選んだ反町さんの短い文章が特定の機会に書かれたものであるため、各時代の高名な蔵書家で触れられていない人がかなり多い点、また「蔵書家」「集書事業」などの概念規定が明確でないので前田に続くような大名コレクションで触れられてないものが多い点、またこれも概念規定の曖昧さなんですが、稀覯本専門の古書籍商としての興味から、江戸期以前は新刊書コレクターも珍籍コレクターも同列に扱ってる点など色々あって、ちょっと解説を加える必要がありそうなんです。さらにある程度以上のクラスの蔵書家になってくると、中山正善みたいに個人所有か図書館の所有かなんて問題も出てきます。
 それと、触れられたたくさんの蔵書家たちの名前に関しても、全くご存じない方がいらっしゃるかもしれないので簡単な説明も必要かと。
 さて、以上のことを、各時代を下りながら、全部ごっちゃにやっていきます。ここからがこのブログの本番です!


 世に広く知られるような蔵書家には、一般に二つの類型があると思います。それは「教養ある君主」タイプと、それとは真逆に「資金力のある学者・文化人」タイプ。
 乗った車が通れば道ばたの民衆がおじきをし、巨大な宗教施設がいくつもある天理市では事実上の君主同然だった中山正善、安田財閥当主の二代安田善次郎なんかは前者の典型です。加賀百万石の藩主の前田綱起になると文字通りの君主以外の何者でもない。外国の例ではジョージ三世なんかがそうだし、JPモルガンもこのカテゴリーに入ります。
 一方で、「資金力のある学者・文化人」タイプでは、ベストセラー作家の井上ひさしや司馬遼太郎がおり、東大教授のサラリー以外に岩崎や久原からの援助を受けていた和田維四郎、日経新聞社長とはいってもサラリーマン社長の小汀利得などがすぐ思い浮かびます。ヨーロッパだったら、ユダヤ系金融一族に生まれながら相続権の放棄と引き換えに巨額の年金を受け取りそれを蒐集に費やしたアビ・ヴァールブルクなどがその典型になるんでしょうか。

 別の分け方では、先程来述べてきた「稀覯本の収集家」と、新刊書を買うような人、つまりは「雑本コレクター」でこちらは自分の情報環境を整える事が目的の人たちです。
 当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、前者は美術コレクターに近い面があり、「教養ある君主タイプ」に多い。集書事業というか、一種の文化事業に近いケースさえあります。
 逆に、後者は「資金力のある学者・文化人」が中心です。

 「稀覯本の収集」では和田とか小汀とか蘇峰とか凄い人もいるんだけど、やはり、最後に勝つのは、前田とか中山のような「王様」です。海外の例でも、英米系で最大の稀覯本のコレクションといえば恐らくリチャード・ヒーバーのそれでしょうが、これは彼の死後、競売で美味しいところを全部ウィリアム・ミラーに持っていかれ、最終的にはモルガン財閥の総帥JPモルガンの所有に落ち着くことになります。
 でも、本の蒐集の場合は、美術コレクターに比べればまだましなんです。そんな金持ちでもない人が、何でこの人はこんなにたくさん本持ってるんだろうってケースがよくあります。それが世に知られた美術コレクターの場合になると、絵画であれ骨董であれ、もう王様と億万長者の名前しか出てきません。(例外的に、フランス印象派絵画の勃興期にネラトンやショケといった高級官僚たちがその眼力で主要な作家の重要作をコレクションしていたケースがあり、この部分はアンコールピースで詳しくやります)

 だから蔵書家の話は面白い。で、次回からは反町の記述にのっとりながら、彼が触れなかった大物たちの話題も含め、「稀覯本収集家」「自らの情報環境を整える事が目的」の両タイプの対比を軸に、あまり堅苦しくなく話を進めてゆきます。
 それでは「反町による主題」で挙げられていた蔵書家を■で、ブログ側が追加した蔵書家を□で表していきます。


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