昭和22年1月に行われた九条家のオークションはこの時代を象徴する出来事です。
前前頁で説明したように、終戦後、日本の古書の価格が低落します。理由は、華族が没落して千年に渡り蓄積されたそのコレクションが市場に放出された事にあります。逆にそれが我が国の古書籍取引史上の黄金期をもたらすわけです。
九条家は昭和4年にも国文学関係の写本を中心の売立会があり、それには徳富蘇峰、佐々木信綱、金子元臣、高木利太、池田亀艦など多くのコレクターが群がり、当時の古書業界としては一時代を画するものでした。その時、反町茂雄がある宮内省の専門家から「あれはいわば不要の分を整理されたにすぎない」と聞き、驚いたという話があります。そして二十年後、財政的に危機に陥った九条家のオークションで反町は仰天することになります。
「あのお家には、まだコンナにも沢山あったのか、と。すぐにあの宮内省の人の言を思い出しました。さてその内容を検して二度ビックリ。疑問は氷解しました。国文・国史を中心にした古写本を主とする点は同一。量もさる事ながら、これは質が立ちまさって居る。時代も一段二段古い。あの時は、せいぜい古くて足利初期どまり、大部分は慶長を中心にした前後一世紀間のもの。この度のは平安朝のものさえあり、鎌倉時代の古写本はかなり多く、南北朝・足利時代のものは数えきれないほど。中には九条家の代々をはじめ、室町期の名家の自筆の貴重書も多い。この種としては、疑いもなく業界はじまって以来の名品売立会であります。」(「九条侯爵家最秘の重宝」より)
ここで反町が全資力を傾けて仕入れた品々は省略しますが、さらに一年後、宮内庁関係者からの電話で九条家が国立博物館に預けている国宝十点を売りたいと言われ、これを中山正善に仲介することになります。繰り返しになりますが、このくだりはこの時代の古書取引を象徴する出来事でした。当時のお金で350万という金額を用意できたのが、中山正善のような新興宗教のトップぐらいしかいなかったからです。
この嵐のような時代は、くどくど語るのはやめてもうこのエピソード一つだけの紹介にとどめます。(国宝十点も省略します。詳しくは反町さんの著書にあたってください)
さて、反町さんは中山正善、F・ホーレー、小汀利得、岡田真の四人をこの時期の四強としています。(ホーレーに関しては前頁で触れたの省きます)
またその他に、池田亀鑑、吉田幸一、前田善子、梅沢彦太郎、戸川浜男、横山重、岡田利兵衛などの名前も挙げていました。
■ 中山正善
「お前様はお父様と同じようにたぶん読めない本をたくさん買うだろうよ」という幼少時に叔母から言われた言葉がそのまま実現してしまった天理教教主。
■ 小汀利得
日経新聞社長。経済評論家。七十年代前半に行われた没後の収集品のオークションは、主催した反町によれば日本の古書取引市場の最後の輝き。
■ 岡田真
大阪の実業家でアララギ派の歌人。他ではあまり語られることのない名前だが、反町のこの評価は昭和三十年のそのコレクションの売立会の内容を反映してのものだろう。
次に反町さんの専門である国文関係におけるこの時期のコレクターを七人。
■ 池田亀鑑 東京大学教授。源氏物語の最高権威。「私は自分に買えないものは人に買ってもらって、それを借りる」とかいってたそうだが、その犠牲者となったのが前前頁で紹介した大島雅太郎。それと後述の前田善子。
■ 吉田幸一 国文学者、書誌学者。叢書「古典文庫」発行のため、膨大な古書蒐集を行う。やはり反町の顧客で、一度戦災で蔵書を失っている。
■ 前田善子 国文学者。池田亀鑑門下で蔵書は紅梅文庫として名高い。蔵書家はほとんど男性ばかりだが、この人は珍しく女性。
■ 梅沢彦太郎 日本医事新報社社長。美術にも造詣が深くその方面での編著がある。
■ 戸川浜男 実業家。中世の物語などを収集
■ 横山重 国文学者。著書「古書探索」はよく知られている
■ 岡田利兵衛 実業家で国文学者。今の人には岡田節人の父と言う方がわかりやすいか。著名な俳人の直筆資料約6000点、「奥の細道」を含む俳書・俳画等を約5000点所蔵し、東大図書館洒竹・竹冷文庫、天理図書館綿屋文庫とともに三大俳諧コレクションとされている。
高度成長とともに稀書の価格も上がり、逆に、亡くなった所有者のコレクションは多くが大学や図書館の文庫に入るようになったため、重要なものが市場にも出回らなくなり徐々にこの時代が終わってゆきます。また1970年前後には中山、小汀などが相次いで世を去ります。稀覯本収集家はその後も後を絶たないものの、スケール感においてこの時期に匹敵する人は以後出てきませんでした。
《トピック1 公家の蔵書》
大名蔵書については 3 大名たち で触れましたが、公家蔵書については、2 蒐集のはじめ で主に蒐集家個人として取り上げはしたものの、何百年もかけて代々蓄積されてきた公家蔵書の実質をこれでは紹介したことになりません。で、九条家を上回る最大の公家蔵書とされた近衛家のそれについて、ここで簡単に触れておきます。
□ 近衛文麿 陽明文庫
五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)の筆頭で、天皇家を別にすれば日本最高の名家といってよい近衛家は、伝来してきた典籍・古文書においても九条家と共に、公家が所蔵してきたもののうちで最重要のコレクションだった。
九条家をはじめとする他の公卿家のものが戦後不幸にして散逸したのに対して、近衛家の場合、文麿の英断ですでに1938年に陽明文庫として文庫化されており、今日でもまとまったかたちで保存されている。ただし一般公開はされていない。
古文書・典籍など10万点。昭和前期で最大の稀覯本の所有者は、じつはこれらの先祖伝来の典籍を継承していた文庫化前の近衛文麿であったかもしれない。(ただし蒐集者ではない)
と、一瞬思ってしまったが、実は篤麿の時代に京大に2万冊を寄付しており、陽明文庫設立時にそれを返還してもらって、あらためて近衛家の典籍・古文書類を全部ひとまとめにしたそうである。なので「□ 近衛文麿 陽明文庫」は「□ 近衛篤麿」へ訂正。
□ 九条道実・道秀
父九条道実公の時、昭和四年のオークションで一部を処分。子道秀の時,昭和22年の大処分に至る。
《トピック2 稀覯本以外のコレクター》
1970年頃までの昭和期の蔵書家では、稀覯本専門の古書籍商だった反町さんは稀覯本コレクターに特化した記述をしているので、このブログではもう少し幅広く紹介していきましょう。
□ 柳田国男 3万7千
□ 三浦新七 4万
□ 高橋亀吉 2万
□ 上野精一 3万
□ 有沢広巳 2万
□ 大佛次郎 5万7千
□ 江戸川乱歩 2万
□ 松本清張 3万
この時期の主な文化人(学者・作家など)をみていくと、
柳田は雑誌・資料などを合わせた数ですが、これは成城大学に寄付されたものだけです(目録が刊行『柳田文庫蔵書目録』昭和42年、『増補改訂 柳田文庫蔵書目録』平成15年)。他に帝国農会や慶応義塾大学言語文化研究所にも寄付しているので全貌はわかりません。
三浦新七は経済史家で、両羽銀行頭取、東京商科大学長などを歴任しました。門下からは上原専禄、増田四郎など有為の人物を多く輩出。
昭和前期を代表する経済評論家の高橋亀吉は、仲の良かった小汀利得が稀覯本のコレクターとして鳴らしたのとは違ってこれは専門分野中心の収集でしょうか? 単行本・資料を合わせた数字ですが、一、二の財閥関係者の援助もあったそうです。
上野精一というのは、一般の方はあまりご存じないかもしれませんが、朝日新聞を所有する村山&上野一族の人です。
有沢広巳は労農派の経済学者で高度成長期のイデオローグ。この蔵書は珍しく中国科学院に寄付されました。
大佛次郎もさすが文壇を代表する文化人として、かなり大きなコレクションですね。「天皇の世紀」の頃には、朝日新聞が資料収集を援助していました。
日本における本格推理小説の祖といえる江戸川乱歩が2万なら、変格推理の代表格である松本清張も3万。乱歩の収集には幻想小説などが目立ちます。ちなみに乱歩は本を捨てずに蓄えるタイプ。逆に清張は資料として使った後はどんどん捨てていくタイプ。それで書庫に3万残ったんだからすごいですね。
□ 大宅壮一
さて、1970年ごろまでの昭和期の著名人で最大の収集家はおそらく大宅壮一ではないかと思います。
大半が雑誌ですが、総数は20万に及びました(しかし本だけでも7万冊もあります)。これは明らかにジャーナリストとしての情報環境を整えるタイプの収集であり、数だけ見ると戦前の徳富蘇峰の収集のほぼ倍です。蘇峰には稀覯本コレクターとしての顔もあり、コレクションとしてはそっちのほうが高く評価されるんでしょうが、大宅壮一の場合、彼が書いたものを読んでてもそういう匂いはほとんどしませんね。よって、反町さんは完全に無視ですが、中山正善を頂点とする近代日本の稀覯本コレクターたちとは一線を画すもう一方の雄としてこういう存在があったということなんでしょう。
死後は雑誌図書館の 大宅壮一文庫 となり、多くのジャーナリストを裨益してきました。大宅の晩年は書庫の中をあっちで調べてこっちに移り、こっちで調べてまたあっちに移るという、なんだか調べる事だけに費やしたように伝わっています。現在のように検索システムが整備されてると、そういう事に費やす時間がほとんど省略されるので便利な時代になったもんです。
現代の蔵書家たち からは、ここからあとの時期の日本の蔵書家たちを扱っているので、よろしくおねがいします。
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