Translate

2018年12月9日日曜日

[101] 現代日本の蔵書家たち 貴方の家には本棚がいくつありますか

 「主題補正 鏡像フーガ」で、反町茂雄の記述の流れに乗りつつ、1970年頃までたどって来たので、それ以降現在までの日本の蔵書家たちの話をもう先にやっちゃいましょう。
 前回までは稀覯本のコレクターが主でしたが、ここからは普通の新刊書などの雑本コレクターが中心になってきます。なので、これまでよりぐっと肩の力を抜いて適当にしゃべっていきます。

 普通本棚には200冊本が入ると言われてます。薄い文庫本ならもっと入るだろうし、逆に「ハリソン内科」だのエスコフィエの「フランス料理」だのそういう分厚い本なら少ししか入らない。これは本棚の大きさにもよります。
 ただ、仮に200で数えてみて、一万冊なら50本必要です。家に本棚が50本もある人はそうそういないだろうから、ここら辺からがいっぱしの堂々たる蔵書家だとひとまずおいてみます。
 それでは、その一万前後の蔵書家たちの話から始めていきましょう。

 だいたい本なんかたくさんあったっていいことなんかありはしません。
 財界を代表する蔵書家とされた平岩外四は、ずっと東電の社宅に住んでて三万冊以上も集めたものだから、家の根板が傾きました。米澤嘉博の場合はたしかアパートだったので下の部屋の戸が開かなくなって大家さんに追い出されてます。
 いわゆる「床が抜けた」エピソードは串田孫一にもありますが、やはり一番有名なのは井上ひさしでしょう。しばらく前から部屋でなにかギギギギという音が気になっていて「虫でもいるのかな」と思ってたら、ある日新しく買ってきた本を部屋にドサッと置いた瞬間、それで床が抜けた、という豪快な話ですね。
 本が焼けたというエピソードも多く、まず戦災で焼けた人として植草甚一、北川冬彦、中島河太郎。以前の項で触れた林羅山も晩年になって蔵書が灰になって、おそらくそのショックでなくなってます。家康、秀忠、家光、家綱と四代にわたって侍講を務めてきてかなり高齢だったはずなので自在に巻物とか読めないはずなんですけど。
 欧米で似たパターンはローマ史家のモムゼンで、四万冊の蔵書の多くを灰にしました。ベルリン大学総長、プロイセンアカデミー終身書記というアカデミズムの頂点にいる立場も羅山とよく似ています。しかし周囲の協力で再建してまた増やしてゆくんですが、再度火災にあいこともあろうに今度は自分にその火が燃え移って焼死してしまいました。モムゼンは古代史以外何も知らない人だったという評もあり、そうなると蔵書はほとんどその関係ばかりの筈で、それが四万冊となると世界に一冊しかないような珍籍も多かったのではと思われます。
 じっさい蔵書と共に焼け死んだ人は日本にもいて、農民史の革新者だった古島敏雄教授がそうなんです。古島さんの問題提起は安良城盛昭に引き継がれて戦後の近世史を大きく変えるんですが、御本人は貴重な資料と共に灰になられました。その他、我が国最大のフィルムコレクターだった杉本五郎も失火で膨大な貸本漫画を失っているし、安田善次郎の巨大なコレクションの消失を頂点とした焼失の被害を語ってたらきりがありませんね。。
 もうひとつ、本による大きな災難は、家族が嫌がることです。本来自分たちに向けられるべき関心が本に向かってるという認識があるので元々あまり面白く思っていないところへ、書斎・書庫から廊下へはみ出し、居間・食堂・玄関先・トイレにまで進出し、「お前の部屋にも置かせてくれ」ではこれは怒るのが当たり前ですね。コレクションの形成にかなりのお金を費やしたのに、没後、家族が「価値をゆっくり査定して時期を考慮して売ろうかな」とはならないで、「みんなまとめて持ってってくれ」となるのはそのためでしょう。
 それではなぜ人は本を集めるのか? 以下で紹介してゆくのは、今度のはそんなに昔の人じゃなくてせいぜい1970頃には生きてた現代人ばかりです。その人生をみてゆけば何か答えがあるかもしれません。

0 件のコメント:

コメントを投稿